ドラマばかりの日銀総裁人事(第2章)黒田総裁の異次元緩和は、なぜ “彼” でなければできなかったのか
黒田総裁の異次元緩和は、なぜ黒田氏以外には実行できなかったのか。総裁人事の舞台裏から、政治と日銀の力学を読み解く。
ドラマばかりの日銀総裁人事(第2章)
黒田総裁の異次元緩和は、なぜ “彼” でなければできなかったのか
前回の記事では、白川総裁の就任がどれほど異例で、
政治状況がどのように日銀総裁の人事に影響したかを見てきました。
ドラマばかりの日銀総裁人事 ~なぜ彼らは日銀総裁になったのか~第1章
今回は、その続編として 「黒田総裁の誕生」 を扱います。
2013年に誕生した黒田日銀は、日本経済を大きく変える転換点となりました。
では、なぜ黒田総裁だったのでしょうか?
なぜ“他の誰でもなく”、黒田氏が選ばれたのでしょうか?
1. 政治主導の金融緩和
白川体制では、リーマンショックが起こり、デフレが続きます。
そんな中、自民党の政権復帰を受けて、安倍政権と黒田総裁が爆誕します。
この時代は、それまでの金融政策とは景色が180度変わります。
2013年、安倍政権が掲げた最大の経済政策が
「大胆な金融緩和によるデフレ脱却」
でした。
いわゆるアベノミクスの「第一の矢(金融政策)」です。
それまでの金融政策では、物価の急上昇などを懸念して、過度な金融緩和は良くないとされてきました。
そもそも、日銀の最大のミッションは「物価を安定させること」です。
しかし、安倍政権としては明確に、
- 物価を上げたい
- 円高を是正したい
- デフレマインドを転換したい
という強い政治的ニーズがありました。
2. 異次元金融緩和の発動
就任早々、黒田総裁は異次元の金融緩和を行います。
これは、比喩表現ではありません。
黒田総裁自身が会見で、「異次元金融緩和」を実施すると言い放ったのです。
具体的には、金利を下げるだけではなく、株も大量に購入していきました。
その結果、
- 株価上昇
- 円安による輸出企業の収益改善
- 失業率の低下
といった効果をもたらしました。
黒田総裁は大規模な金融緩和をいきなり発表するのが得意技です。
その発表は、規模の大きさとサプライズ演出になぞらえて、「黒田バズーカ」と呼ばれるほどでした。
ここで重要なのが、
金融緩和は、政治が望んでも “日銀がやらないとできない”
という点です。
日銀は政府機関ではないので、政府が金融緩和を強制させることはできません。
つまり、政治の意向を実際の政策に落とし込むためには、
総裁そのものが金融緩和に前向きである必要があったのです。
3. 「財務省出身者」が必要だった理由
日銀総裁には慣例として、
- 日銀出身(プロパー)
- 財務省出身(旧大蔵省)
が交互に任命される「たすきがけ人事」があります。
白川総裁(プロパー)が2008〜2013年に就任していた以上、
次は 財務省出身者を選ぶ流れが濃厚でした。
そして、このタイミングでは政治側にとっても
- 財政・金融の両面に精通し
- 国際舞台でも経験豊富で
- 政府との連携を円滑に進められる
財務省出身の総裁が望まれていたのです。
4. 黒田東彦という“国際派エリート”
黒田氏の経歴には、総裁候補として突出した特徴がありました。
- 財務省で国際畑を歩む(為替政策にも深く関与)
- 財務官経験(G7・G20で各国中銀総裁と渡り合う)
- その後アジア開発銀行(ADB)総裁に就任
国際金融の最前線で、日本の立場を発信してきた人物。
「金融緩和をやるぞ」というメッセージを国内外に示すには、
これ以上ない分かりやすい人選でした。
よく言われることですが、
黒田総裁の就任は「政策の中身」とセットで語られるほど、
人事の段階で“異次元緩和が決まっていた”とも言われています。
5. なぜ黒田氏でなければ“異次元緩和”は動かなかったのか
異次元緩和は、その規模も手法も前例がありませんでした。
- 国債の大量購入
- 株の大量購入
- マイナス金利導入
これらは、
中央銀行の常識を根底から覆すレベルの政策です。
日銀プロパーの総裁だった場合、
組織の文化や内部の調整を踏まえると、
ここまで急進的な政策に踏み切るのは極めて難しかった、
とよく指摘されています。
黒田氏は財務省出身であり、
日銀内のしがらみに縛られない「外部からの改革者」でした。
加えて、
- 国際的な信用
- 政府との高い親和性
- 人事としての政治的メッセージ力
が揃っていたため、
“黒田総裁=異次元緩和” という構図が最初から成立していた
と言えるのです。
つまり、異次元緩和は「日銀単独の政策」というよりは、
政権と日銀の“共同プロジェクト”として動いた側面が強いのです。
6. 異次元緩和の出口の模索
順当にいけば、次の総裁は日銀出身の中曽副総裁でしたが、
黒田総裁は任期満了時も再任されて、2期10年も総裁を続けました。
長期政権となった安倍政権のもと、
引き続きアベノミクスを継続させるという政府の強い意志の現れでした。
というのも、異次元緩和によって大きな効果が出ていた一方で、
“賃金と物価の上昇”は思うような効果が出ませんでした。
再任して引き続き金融緩和を続けますが、
この一丁目一番地のミッションが明確に達成できなかったので、
任期中に金融緩和を終わらせることができませんでした。
しかし、黒田体制の最終盤、日本社会に大きな変化が訪れます。
過去何十年もデフレに悩んでいた日本の物価が上昇し始めたのです。
これは、
- コロナ後のアメリカの利上げによる円安加速
- ウクライナ戦争による原油価格高騰
これらのダブルパンチが原因でした。
コロナ禍では世界経済が麻痺したことで、世界各地で大規模な金融緩和が実施されました。
この結果、アメリカは緩和が行き過ぎて、
“インフレ”が加速し、物価が上がりすぎてしまいました。
アメリカの中央銀行(FRB)は対策として、逆に金利を上げる対応を取ります。
日本は物価が上がらないので緩和を続けていると、
日米で金利の差が大きくなって、円安が加速し、輸入品の値段が上昇しました。
さらに、ウクライナ戦争により、ロシアから原油を調達しない国が増えたことで、
原油価格の値段が高騰していきました。
黒田総裁の退任直前での物価上昇
これが、後の総裁人事に大波乱を呼び起こすとは誰も想像しませんでした。
7. 人事の段階で「路線」が決まるのは今も同じ
前回の記事の最後に触れた通り、
金融政策の大きな方針は総裁人事の段階でほぼ決まります。
黒田総裁の誕生が「異次元緩和の宣言」であったように、
その後、雨宮総裁の誕生が「黒田路線の継承」を示すはずでした。
次回のテーマでは、
なぜ日銀総裁人事は白紙に戻ったのか。”幻の雨宮総裁”を解説します。
(次回予告)
次回:
「なぜ日銀総裁人事は白紙に戻ったのか。黒田体制、雨宮待望論」
— 黒田路線の継承なるか-幻の雨宮総裁- —