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ドラマばかりの日銀総裁人事(第3章)〜黒田路線の継承なるか-幻の雨宮総裁-〜

なぜ日銀総裁人事は白紙に戻ったのか。黒田体制、雨宮待望論を解説する。

ドラマばかりの日銀総裁人事(第3章)〜黒田路線の継承なるか-幻の雨宮総裁-〜

ドラマばかりの日銀総裁人事(3)

〜黒田路線の継承なるか-幻の雨宮総裁-〜

本シリーズでは、「日銀総裁の人選こそが金融政策の方向性を決めてしまう」という観点から、歴代人事の舞台裏や政治との関わりを整理しています。

過去のシリーズはこちら

ドラマばかりの日銀総裁人事 ~なぜ彼らは日銀総裁になったのか~第1章
ドラマばかりの日銀総裁人事(第2章)黒田総裁の異次元緩和は、なぜ “彼” でなければできなかったのか

第3回となる今回は、“黒田路線の中枢、雨宮副総裁の意思”
という、日銀人事が白紙になった事例を振り返ります。


1. 雨宮待望論 :黒田路線の継承は“既定路線”と思われていた

黒田総裁が退任するにあたり、
「次は誰が総裁になっても黒田路線の継承だろう」という空気が広がっていました。

なぜなら、黒田総裁は任期中ずっと、金融緩和の必要性を訴えて異次元緩和を継続してきました。 急な路線変更で金利が上昇していくと、混乱を生む可能性があったのです。

一方で、金融緩和の副作用も意識され始めており、

  • マイナス金利による銀行収益低下
  • 株の大量購入によって、これ以上の金融緩和余地が少ない

などの影響も懸念されていました。

  • これ以上の金融緩和は副作用が怖い
  • でも急な利上げは混乱を招く

これらの課題に立ち向かう舵取りを誰が担うのか?

答えは一つでした。

植田総裁

では、ありません

政府が選択したのは雨宮副総裁だったのです。

当時、だれもが雨宮副総裁が次期総裁だと思っていたのです。


2. 日銀の大エース雨宮副総裁 :ミスター金融政策

日本銀行には企画局という花形部署が存在します。

  • 金融政策の企画・立案・分析等を担当する日銀の中枢
  • 企画局の要職は、総裁たちと同様に金融政策決定会合に参加
  • 日銀のエリートであれば誰しも入りたい部署

雨宮副総裁はこの企画局でずーっと仕事をしてきた日銀の大エースです。
日銀の大谷翔平と思ってもらえれば大丈夫です。

日銀HPには、金融政策決定会合での討論内容が1998年以降すべて公開されています。
雨宮氏は古い記録(1998年1月16日開催分)から、出席者の名簿の一番下に記載されています。

会合の記録を古いものから順に見ていくと、年を追うごとに昇格し、
名簿での順番が少しずつ上に上がっていきます。

途中、大阪支店長をしていた時期など、会合に出席していない期間が多少ありますが、
出席していない会合記録を見つけるのは至難の業です。

まさに25年間も金融政策の最前線にいた「ミスター金融政策」といえるでしょう。


3. 総裁人事が白紙へ

副総裁だった雨宮氏は黒田路線の象徴でした。

  • 異次元緩和の制度設計に深く関与
  • 金融市場や企画の実務にも精通
  • 日銀出身でたすきがけ人事として選びやすい

当時、雨宮氏は「最有力」であり、
市場では「雨宮総裁=緩和路線の継承」と考えるのが常識でした。

岸田政権も黒田路線の継承に異論はなし。
政府は雨宮副総裁に総裁を打診します。

ところが、その“鉄板”が覆されます。

本人が打診を断ったのです。

これには政府も大慌てです。 まさか断るなんて。

日銀に入行したからには誰しもが目指す頂点を。

日本中がびっくりしすぎて、マスコミも雨宮氏の自宅に押し掛けるほどでした。

しかし、この決断は彼なりの「仁義」がありました。


4. なぜ彼は総裁にならなかったのか

実は、雨宮副総裁が総裁の打診を断ったのは、

黒田路線を継承してはいけない

という彼なりの考えがあったからです。

雨宮氏は黒田体制の柱と言うべき人物です。

黒田総裁就任時、雨宮氏は大阪支店長でした。

大阪支店長とは、

  • 将来有望なエリートがキャリアローテーションの一環で1~2年地域経済分析を経験
  • 過去に中曽副総裁も大阪支店長を経験
    というポストでした。

雨宮氏は大阪支店長に着任して10か月しか経っていませんでしたが、
黒田体制が発足してすぐ、本店に呼び戻され、理事として異次元緩和の制度設計を行いました。

その後も副総裁として10年にもわたる異次元緩和の中枢を担い、
継続的な金融緩和の必要性を訴えていました。

一方で、これから先、路線の変更が必要になってくることも感じていました。

異次元緩和の副作用がっクローズアップされるようになり、 物価も上がってきました。

そんな中、異次元緩和の中枢だった人が「金利を上げます」というのは、混乱を招くかもしれません。

自分が黒田体制の中枢だったからこそ、総裁を断ったのでした。

こうして、総裁人事は一度振り出しに戻ります。


(次回予告)

次回:
「突然の植田総裁人事 :路線転換のメッセージ」
— 民間出身の審議委員経験、そして黒田路線の“出口”へ —

● なぜ慣例を破って植田総裁が選ばれたのか?

● そして、次の総裁人事はどう動くのか?

こうしたテーマを、歴史と事例を交えて解説します。


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