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植田総裁欠席で注目された内田副総裁。次期総裁候補としての存在感【日銀わかりやすく解説⑤】

植田総裁の欠席により、総裁代理として記者会見を行った内田副総裁。日銀の人事慣行や内田副総裁の経歴を振り返りながら、次期総裁候補としての存在感について考えます。

植田総裁欠席で注目された内田副総裁。次期総裁候補としての存在感【日銀わかりやすく解説⑤】

この記事は連載記事になります。

第一回では、政策金利1%到達と植田日銀の慎重な利上げ姿勢について解説しました。

第二回では、2000年のゼロ金利解除とその教訓を振り返りました。

第三回では、日銀の政策目標は為替ではなく物価であることを確認しました。

第四回では、オーバーシュート型コミットメントと植田日銀の変化について整理しました。

そして今回は、少し視点を変えて、「人事」という観点から今回の金融政策決定会合を振り返ってみたいと思います。

異例となった植田総裁の欠席

今回の金融政策決定会合では、植田総裁が入院のため欠席するという異例の事態となりました。

金融政策決定会合は、日本銀行の金融政策を決定する最も重要な会議です。

そのトップである総裁が欠席するケースは初めてで、市場関係者の間でも大きな話題となりました。

金融政策の方針決定は、最終的に政策委員9名による多数決で決定するので、偶数での多数決となることについて、やや懸念がありましたが、意見が拮抗することなく、無事に終わりました。

そして、総裁に代わって記者会見を担当したのが、内田眞一副総裁でした。

総裁代理として会見を行った内田副総裁

日本銀行では、総裁が職務を行えない場合、副総裁があらかじめ定められた順位に従って総裁の職務を代行します。

2名の副総裁のうち、基本的な総裁代理は内田副総裁となっています。

一方、金融政策決定会合当日の議長(司会進行)だけは、もう一人の氷見野副総裁が担当となっています。

今回、内田副総裁が記者会見を担当したことで、

内田副総裁の時期総裁候補としての存在感

が改めて確認される形となりました。

金融市場では人事において、こうした「前例」や「実績」が重視されることも少なくありません。

内田副総裁はどんな人物なのか

内田副総裁は日本銀行のプロパー出身です。

1987年に日本銀行へ入行後、

  • 企画局
  • 金融市場局
  • 総務人事局
  • 金融政策運営の中枢部門

などを歴任してきました。

特に、日銀のエリートが集う花形部署、企画局に長く在籍しており、

  • 企画室調査役
  • 企画局参事役
  • 企画局長

と、常に企画局にいるような存在です。

特に、黒田総裁時代には金融政策の実務面を支える存在として知られ、

  • マイナス金利政策
  • イールドカーブコントロール(YCC)
  • 金融緩和の正常化

など、多くの政策運営に深く関わってきました。

植田総裁のもとでも、金融政策の考え方を市場に丁寧に説明する役割を担っています。

日銀には「たすき掛け人事」という慣行があった

日本銀行の総裁人事では、長年、

  • 日銀出身者(プロパー)
  • 大蔵省・財務省出身者や学者

が交互に就任する「たすき掛け人事」が続いてきました。

例えば、

  • 福井総裁(日銀出身)
  • 白川総裁(日銀出身)
  • 黒田総裁(財務省出身)
  • 植田総裁(学者)

という流れです。

こうした慣行を踏まえると、次の総裁は再び日銀出身者になるのではないか、という見方もあります。

次期総裁候補として名前が挙がる理由

内田副総裁が次期総裁候補とみられる理由としては、

  • 日銀プロパー出身であること
  • 金融政策運営の経験が豊富であること
  • 植田総裁の右腕として正常化プロセスを支えてきたこと
  • 今回、総裁代理として会見を行ったこと

などが挙げられます。

東大→企画局を歴任→理事→副総裁という経歴は、日銀プロパーの王道出世コースといえるでしょう。

黒田総裁の任期満了に伴う次期総裁として打診を受けた当時の雨宮副総裁も同じ経歴でした。

なお、当時は雨宮副総裁が信念を貫き、この打診を固辞したことから、植田総裁が就任しましたが、この経緯については、別の記事で掲載しています。

また、今回の内田副総裁の記者会見によって、

総裁代理として職務を全うした実績と総裁職を任せられる安心感

が世間に印象付けられたので、次期総裁としての階段を一歩上がったといえるかもしれません。

もちろん、総裁人事を決めるのは政府と国会であり、現時点で何かが決まっているわけではありません。

しかし、市場関係者の間では有力候補の一人として名前が挙がることも増えています。

実は、植田総裁同様、2000年のゼロ金利解除を経験した数少ない生き字引

内田総裁が次期総裁候補としてキーパーソンである理由として、

植田総裁とともにゼロ金利解除を経験した数少ない人材

という点があります。

2000年8月、当時の植田審議委員が反対票を投じたものの、ゼロ金利政策が解除されました。

この直後から、内田氏は企画局調査役として金融政策決定会合に参加することになります。

当然、議決権はないですが執行部として当時の状況、反省点を知る人材なのです。

植田総裁が審議委員のころにゼロ金利政策解除に反対したエピソードは以下の記事で解説しています。

こうした点で、植田総裁からの信頼も厚いでしょう。

人事を見ると日銀ニュースはもっと面白くなる

金融政策というと、

  • 政策金利
  • 円安
  • 物価上昇率

などの数字ばかりに目が向きがちです。

しかし、その政策を決めているのは「人」です。

誰が総裁になり、誰が副総裁になるのか。

どのような経歴を持つ人物が金融政策を担うのか。

そうした人事の視点からニュースを見ると、日本銀行の動きもこれまでとは違って見えてくるかもしれません。

植田総裁の任期満了まであと2年、すでに次期総裁の人事は動き始めています。

おわりに

31年ぶりの政策金利1%という節目から始まった今回の連載では、

  • 慎重な利上げの背景
  • 2000年の教訓
  • 為替と金融政策の違い
  • オーバーシュート型コミットメント
  • そして日銀を支える人たち

について振り返ってきました。

金融政策は難しく感じられるかもしれません。

しかし、過去の経験や制度、人事の背景を知ることで、ニュースの見え方は大きく変わります。

今後も日本銀行の動きに注目していきたいと思います。

なお、当ブログでは、日銀総裁人事にフォーカスした連載記事【ドラマばかりの日銀総裁人事】も掲載しています。

この投稿は投稿者によって CC BY 4.0 の下でライセンスされています。